『ヤンヤン歌うスタジオ』開始から『ザ・ベストテン』開始までのテレビ史の流れ

1977年9月25日
日曜19時枠で『ヤンヤン歌うスタジオ』が放映開始
東京12チャンネル

10月

東京12チャンネルの放映開始時刻が早まる
 (午前9:00→午前7:45
・下半期の連続テレビ小説は『風見鶏』
高倉健が珍しく……というか唯一の連続テレビドラマの主演を務める(『あにき』TBS)
・昨年(2017.10.26)亡くなった篠沢教授が『クイズダービー』の1枠にゲートイン
ピンク・レディーがテレビドラマの主役を演る
(『気になる季節』ANB)
・『木曜スペシャル』で2週にわたってテレビ史上最大級のスケールの特別番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』第1回の模様を放映。(テレビ好きでこの番組の存在を知らないヤツはモグリ!!by管理人)

12月
大晦日
日本レコード大賞沢田研二勝手にしやがれ
第28回NHK紅白歌合戦:司会は佐良直美山川静夫4年連続で同じ組み合わせ

1978年1月
・『暴れん坊将軍』シリーズ始まる(ANB)
・この年の大河は『黄金の日日
・『ザ・ベストテン』開始。言わずと知れた、歌番組の最高傑作のひとつ!
・ちなみに初の『ベストワン』はピンク・レディーの『UFO』

架空のテレビ局を考えよう

 

松ちゃん「ぼく、テレビが好きすぎて、自分の脳内でテレビ局を作りたくなってきた!」

新平「大変だよ

松ちゃん「ヽ(;゚д゚)ノ ビクッ!!」

 

新平「とりあえず、在京民放5局の成り立ちを、ウィキペディアでもいいから調べてみるんだ」

 

日本テレビ

  • アメリカの政治家が提案
  • 新聞社のワンマン経営者が主導となる
  • 日本初の民放テレビ

TBS

  • ラジオ局が母体
  • 3大新聞社と広告代理店の競願を一本化(ラジオ東京

フジテレビ

  • ラジオ局と映画会社が設立を計画

テレビ朝日

  • 教育局として開局
  • 映画会社、新聞社、出版社の3社が主導となる

テレビ東京

  • 教育局として開局
  • 通信制高校の学校放送を目的として設立

 

 

松ちゃん「……それで??(;´Д`)

新平「( ´ー`)y-~~」

KBCラジオ あなたの知らない世界(平日編)

KBC九州朝日放送

福岡1413kHz
北九州720kHz
大牟田・行橋1485kHz

ラジオカーは「ひまわり」

自社制作番組(平日)

『富田薫のアサコレ!』

平日早朝ワイド。富田薫氏はKBCアナウンサー。2016年度放送開始。

川上政行 朝からしゃべりずき!』

平日朝ワイド。川上政行氏はフリーアナウンサー(元TVQ)。

『ガブリナ』

平日午前~お昼の3時間半ワイド。水木のMCに井上陽水の娘依布サラサがいる

『PAO〜N』

 昼のワイド番組。もともとは80年代に放送されていた平日夜ワイド。2003年に昼の生番組として復活。
 メインパーソナリティの沢田幸二氏KBCの編成局担当局長にしてエグゼクティブアナウンサー。80年代は夜版『PAO~N』が遠距離受信できるおかげで全国区の人気を博しており、ラジオ界の寵児だった。
 おすぎ、松村邦洋など全国区のタレントも曜日MCとして出演している。
 予備校講師の青木裕司が自著『世界史B実況中継』シリーズでこの番組に言及している。

『夕方じゃんじゃん』

平日夕方ワイド。

KBC長浜横丁』

ナイターオフシーズンの平日夜ワイド。トーク番組。日替わりで番組名が変わる。火曜レギュラーに波田陽区がいる

『R-ジャック(レディオジャック)』

月・火の深夜のみ放送の25分番組。月曜はミュージシャン、火曜はお笑い芸人がMCを務めるトーク番組。MCは月火ともに2週間ごとに交代する。

『おっきーのラジドラ学園』

火曜の深夜番組。福岡の高校の放送部員がラジオドラマを作ると、この番組で流してくれるそうな。うらやましい。
MCの沖繁義氏は、KBCアナウンサー。

ドォーモ×ラジオ』

九州地方の名物深夜番組のラジオ版。金曜深夜放送の音楽番組。提供はトヨタカローラ福岡。

RSK山陽放送のウィキペディアを熟読? する

山陽放送-ウィキペディア

ポイントA

山陽放送株式会社(さんようほうそう、Sanyo Broadcasting Co., Ltd.)は、岡山県を放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業と、岡山県香川県を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を兼営している特定地上基幹放送事業者。 略称はRSK(Radio Sanyo K.K.、旧愛称「ラジオ山陽」(1953年-1961年の間使用)[1] に由来する)。本社は岡山県岡山市


※強調部・傍線部はすべて引用者

  • ラジオ放送では、香川県は放送対象地域ではない
  • RSKとは「ラジオ山陽」の略である

ポイントB

筆頭株主岡山県で、山陽新聞社クラレ岡山市天満屋倉敷紡績などが主要株主。系列新聞は山陽新聞[2]。ニュース名称はテレビが「山陽TVニュース」、ラジオが「山陽新聞ニュース」。新聞のラテ欄の局名クレジットはこれまで「山陽テレビ」と記載されていたが、2012年9月12日に改称され、同日より「RSKテレビ」と記載されている。(「会社概要」)

ポイントC

TBS系列(JNN)の系列局の中では、東北放送(TBC)、静岡放送(SBS)、中国放送RCC)とならびJNN基幹局(五社連盟)に次ぐ有力な局(準基幹局)とされている。かつては、本放送局からJNNカイロ支局(現在は閉鎖)へ記者が派遣されていた[3]。(「会社概要」)

  • 準基幹局である

ポイントD

長期取材による調査報道やドキュメンタリー制作では、香川県豊島の産廃不法投棄事件をスクープした実績を持つ。また毎年6月に全国放送のネット番組を放送している。(「会社概要」)

  • 毎年6月に全国放送番組がある

ポイントE

開局に伴い、岡山市東中山下(現在の岡山市北区表町二丁目)の天満屋西別館[14] 3・4階[15] に演奏所を設け、本社もここへ移転した。(「歴史」)

  • 当初は天満屋にスタジオがあった

ポイントF

1958年6月1日 - アナログテレビジョン放送の本放送開始(全国7番目。東京・大阪などの大都市圏以外では初の民放テレビジョン放送)。(「歴史」)

  • 全国的にみてもテレビ放送開始は早かった

ポイントG

1971年
10月 - 日本の民放テレビ局で初となる夕方のローカルワイドニュース番組『山陽TVイブニングニュース』が放送開始。(「歴史」)

  • 日本の民放テレビ局で初となる夕方のローカルワイドニュース番組を放送した

ポイントH

1979年4月1日 - 岡山県香川県のテレビジョン放送の相互乗り入れ(岡山・香川両県の民放相互乗り入れ放送)開始。(「歴史」)

1980年7月7日 - この日開局した真庭ラジオ放送局(現在の落合ラジオ放送局)と既存の津山局・新見局の周波数を1494kHzに統一。これによってラジオ全局同一周波数で放送開始(全国初)。(「歴史」)

  • 79年度から香川県でもRSKテレビが観られるようになった
  • 県域局のなかで、日本で初めてどの地域でもラジオの周波数が同じになった

ポイントI(アナウンサーについて)

山陽放送のアナウンサーは岡山・香川地区の放送局で最も人数が多いのが特徴である。また、局アナとしての在籍年数も長いのも特徴(特に男性アナ)である。

  • 岡山香川の放送局ではアナウンサーが一番多い
  • 地方局のなかではアナウンサーの定着率が高い

「音楽の風車」には200年以上続いてほしい

「音楽の風車」について

「音楽の風車」というラジオ番組がある。BSS最古の長寿番組である。お盆に山陰に帰省してきた人が「まだ『音楽の風車』やってるのかよ!!」とラジオにツッコミを入れるのが定番になっている。

「音楽の風車」。だいたいお昼ごはんの頃に生放送している音楽リクエスト番組である。Jポップもかかれば演歌もかかる。いちばん「音楽の風車」という番組を特徴づけているのが、OPテーマとOPのナレーションだ。

OPテーマは「赤いマフラー」という曲(のインスト部分)だ。津村謙という非業の死を遂げた歌手の事実上の代表曲である。津村謙は紅白歌合戦出場歴もある、戦後の流行歌手だった。この「赤いマフラー」のイントロによって、津村謙という歌手の存在は、少なくとも山陰地方の人間には永遠に刻み込まれるだろう。

もはやBSSは『音楽の風車』を打ち切るつもりはないと思う。99%ないだろう。60年以上続けており、これほど地元民(とそれ以外の放送オタク)に馴染んでしまった番組なので、100年でも200年でも続くだろう。他地域にも、そういった長寿番組がチラホラあるようだ。

山陰放送の成り立ちに関するタレコミ情報(2つだけ)

  • 旧社名「ラジオ山陰」
  • 米子のパチンコ屋から放送を始めた

ぼくはBSSのことから書き始めることにする

現在、ぼくが観ることのできる地上波テレビチャンネルを挙げてみる。

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はじめに

従来「ノンセクション」(http://blog.livedoor.jp/bakhtin19880823/)というブログでテレビ放送の話題を中心に書いてきたが、あまりにもテレビに関する話題の比重が大きくなりすぎたので、テレビ/ラジオ関係の部門を独立させて、このブログを開設することになった次第である。

最初、「放送文化への情熱」というブログ名を考えていたが、シュリーマンの『古代への情熱』のパロディ臭さが嫌だったので、「放送文化への執着」というある種不気味なブログ名を採用することになった。