山口大学の前身である教育機関のWikipediaを読む(第3回)

第1回では旧制山口高等学校、第2回では山口高等商業学校について、Wikipedia の記事を読んできました。

7ヶ月ぶりの更新となる第3回は、山口大学工学部の前身であった、

宇部高等工業学校→宇部工業専門学校

Wikipediaを見ていきたいと思います。

 

宇部高等工業学校(のちに宇部工業専門学校)

 

宇部工業専門学校 (旧制) - Wikipedia

 

宇部工業専門学校は、1939年宇部高等工業学校」として創立し、1951年廃止されました。廃止の日付は3月31日なので、実質1950年度をもって廃止であり、12年間しか存在しなかったことになります。

 

それでは、Wikipediaの「沿革」を見ていきましょう。 

日本が太平洋戦争に向かっていく最中のことでした。時の文部省は、全国に高等工業学校を増やすことを計画しました。高等工業学校とは、旧制専門学校の一種です。高等教育機関のカテゴリーに入り、現在の大学工学部・理工学部の母体となっています。 

さて、なぜ文部省は、高等工業学校の増設を急いでいたのでしょうか。宇部工業専門学校のWikipediaには、「戦時体制下の技術者拡充を図るため(「概要」より)」と記述されています。来るべき戦争を見越して、軍事関連技術者を養成したかったのでしょう。

 

山口県は、高等工業学校を山口市に作りたかったようですが、「学校を作る費用がかかりすぎる」と山口市は辞退し、変わって宇部市が名乗りをあげました。鉱工業ブームで、宇部市潤っていたのです。宇部市は学校建設用地とお金を寄付。山口県もお金を寄付。山口県の地元企業もお金を寄付して、企業の寄付金が一番多かったそうです。

こうして、1939年、「宇部高等工業学校」は設置されました。1年生時は全寮制で、1期生が入寮したのは、その年の夏――7月でした。第1回の卒業式は真珠湾攻撃の直後で、 終戦まで繰り上げ卒業の措置が取られました。

 

なお、学校名は、1944年「宇部工業専門学校」に変わっています。

興味深い記述がありまして、終戦の年・1945年の12月、軍国主義教官の排斥をもとめ、学生がストライキを起こしたというのです。各地でそういうことがあったのかもしれません。

 
1949年に新制・山口大学が発足し、同時に宇部工業専門学校は山口大学工学部の母体になりました。今も、山口大学工学部は宇部市にキャンパスがあります。なお、工学部キャンパスの地名は『常盤台』という名前で、工業専門学校・工学部共通の同窓会の名前は『常盤工業会』と言うそうです。

 

Wikipediaでは、関連書籍として、創立五十周年記念事業として1990年に出版された『山口大学工学部五十年』という本が記されています。1939年の宇部高等工業学校設立からカウントして『五十年』ということでしょう。