山口大学の前身である教育機関のWikipediaを読む(第2回)

山口高等商業学校(のちに山口経済専門学校)

山口高等商業学校 - Wikipedia

 

山口高等商業学校(山口高商)の特徴は、官立高商で唯一旧制高校を前身としていることだそうです。官立高商というのは、「戦前に国が作った高等商業学校」という認識でイケると思います。旧植民地以外の官立高商は、現在の日本の国立大学における経済学部・経営学部の前身となっています。「高等商業学校」という名称なのでややこしいのですが、現在の商業高校より格上です。というのも、現在の商業高校が、後期の中等教育機関であるのに対して、「高等商業学校」は、高等教育機関の範疇であるからです。

 

で、山口高商の前身となった旧制高校は、前回お話した『(旧制)山口高等学校』なんですが、ややこしいのは、山口高商ができた14年後に、新たなる『(旧制)山口高等学校』が復活したことです。つまり、旧制山口高校が復活したあと、戦後に『新制山形大学』ができるまで、復活の山口高校と、今回のお題である山口高商が、並行して存在していたのです。

ちなみに、復活後の(旧制)山口高校は、いまの山口大学人文学部・理学部の前身であり、山口高商は、いまの山口大学の経済学部の前身であります。

 

山陰地方の公立進学校で育った僕の目からすると、山口県の大学について本気で調べるまで、山口大学は、広島大学岡山大学に劣る!(キリッ)みたいなイメージでしたが、これは致命的な誤解であって、偏差値的な格差や『駅弁大学』というレッテルを無視してしまえば、学部のバリエーションからして、山口大学は立派な『総合大学』であり、中国地方と九州地方の両方と深い交渉をもつ山口県にあるという立地を考えても、非常に興味の尽きない国立の総合大学であると、今では考え直しています。

 

 

さて、山口高商で、どんな人間が教えていたのかというと、Wikipediaによれば、京都帝国大学や、東京高等商業学校(東京高商)出身者が教員には多かったようです。東京高商は、現在の一橋大学です。

やがて、東京高商は東京商科大学に格上げ、そして西日本の神戸高等商業学校(神戸高商)が神戸商業大学に格上げし、東京商科大学と並び立つようになると、神戸商大の出身者も、教壇に立つことが多くなります。神戸商大、現在の神戸大学における多くの文系学部の前身であります。

京都帝大・神戸商大。憶測にすぎませんが、山口県が中国地方の最西端で九州地方に(関門海峡を隔てて)接していたので、西日本の有力大学の出身者が、山口高商の教員のなかで一大勢力を築いていたのかなあ? と思いましたが、「一大勢力」というのは言い過ぎだったかもわかりません。

 

第二外国語の設定が特徴的だなあと思いまして、なぜかというと、中国語か韓国語のどちらかを選択履修することが義務付けられていたようで、「滿韓地方ノ實業ニ從事」する人材ーー当時大日本帝国満州地方や韓国に勢力を伸ばしていましたからーーを育てるという意図が背後にあったのでしょう。

 

第一次世界大戦開始後、日本の近隣アジア諸国への経済進出が本格化すると、高商各校ではこれらの地域での貿易実務者の養成に力を入れた

Wikipedia「山口高等商業学校」 閲覧20180827)

 

この動き、山口高商も例外ではありませんでした。

 

 

あと面白いと思ったのは、山口高商は『山口商學雑誌』『東亞經濟研究』という2つの機関紙を出していたそうで、これは山口大学が発足した後も、そして現在も発行され続けている雑誌だそうです。『山口商學雑誌』は『山口経済学雑誌』に誌名変更して存続、『東亞經濟研究』はどうなっているんだろうと思ったら、『東亞濟研究』と『經』の字だけ新字体になって2017年1月発行分まで山口大学ホームページ内の「学術機関リポジトリ」で閲覧可能。すげえ。

 

Yamaguchi University Navigator for Open access Collection and Archives

↑「YUNOCA 山口大学学術機関リポジトリ

 

<つづく>